こだわりの米づくり


私はこだわりの米作り白米の産地直送を行っております。ぜひこの機会に、河内さんちのお米をご賞味下さい。

 今の農家の販売システムは農協に玄米で出荷するのが一般的です。
その際標準的な品質をクリアさえしていれば、どんなにすばらしく美味しい「あきたこまち」も、あまり美味しくない「あきたこまちも」、1俵の値段は同じになってしまいます。
 従って、一般の農家は品質よりも量をたくさんとった農家の方が得ということになります。どうしても肥料をたくさんやって、収穫高を上げようとすると、稲は穂の重量や伸びすぎた丈で倒れやすくなります。そこで稲の成長を抑えて稲の丈を短くし倒れにくくする農薬なども使います。そんな薬をやると稲自体の体力も落ちますので、稲の病気”いもち病”にもかかりやすくなり、また防除が必要になったりします。

 私は私の作った米を、直接消費者の方に食べていただき、それなりの評価をしてもらいたく(おいしいとまた買っていただき、まずかったりすると次から注文をもらえません。) 
美味しく安全な米づくり
 だけを考えて作っております。
 肥料は苗づくりからたんぼに播く肥料まですべて こだわりの肥料を使っております。
いくらこだわりの肥料といえ、やりすぎると米の味ががまずくなりますので、控えめにしております。従って収量は一般よりも少ないです。
苗作りの段階の殺菌剤と 田植え後の除草剤は2回に分けて使いますが、カニの殻に含まれるキチンキトサンが病気の殺菌効果があるので使うなど、農薬に変わる自然のものを使うように努力してます。
 お米に残留するおそれのある殺虫剤、農薬は使いません。 
 私の住む大潟村は大変風が強いのでいもち病などが発生しにくいのも幸いしております。
こんな 考えで私は米を作って直接消費者の方々に食べていただいております。最近はスーパーなどで大変安いあきたこまちを売ってるようですが、食べていただけばその違いがわかっていただけると思っております。

私が作っています 河内伸介

こだわりの肥料・こだわりの土作り

ビニールハウスで苗を育てている間に、こだわりの肥料をまきます。
肥料は長く使っております有機アミノ酸肥料とケイフンペレットの組み合わせで作りました。

最近のお米の下落に伴い米づくりの低コスト化が目標となっている時勢に逆行してコストの高い肥料をあえて使っております。
 
 
おこめちゃん
有機態チッソ4.1%を含有する特別栽培対応型肥料です。
有機態チッソは、分解加工した動植物有機が由来です。
色艶の良い生育をし、丈夫な有効茎確保に役立ちます。


おどりこ
おこめちゃんと同じ三菱商事アグリサービスの製品でリン酸を多く含む有機肥料です。

以前は秋の稲刈後の稲わらを分解する為に石灰窒素(化学肥料)を使っておりましたが、発想を変えて微生物の力で稲わらを分解して肥料にするための微生物のえさとなる有機肥料を中央化成(株)に開発していただき、全面積この肥料に変えての栽培体系になりました。化学肥料の何倍もする高価な肥料です。
 
こだわりの土作り

プラウという機械で田んぼの土を天地返してます
今まで使ってなかった土をよみがえらせて藁をスキ込む、という作業です。


かなり下の方の土が表面に出てきて元々ある八郎潟の湖底の有機質がよみがえりますので肥料は控えめにしました。

河内さんちのお米は「安全で本物の味」を目指しています

カメムシ対策についての方針

一昨年、昨年東北、北陸地方はいまだかつてないほどカメムシの被害を受けてしまいました。殺虫剤をやらなかったうちのお米も当然被害を受けてしまいました。それに対処するため色彩選別機を導入してお客様には出来るだけ迷惑がかからないように対処してきました(黒い粒全部は取り切れませんが)。
 昨年の被害を受けて今年は普段の10倍以上の殺虫剤が穂の出た時期にまかれるでしょう。これは規格にしばられた中で作っている農家ならせざるを得ないことだと思います。
 私はあえて今年も殺虫剤をまきませんでした。稲の穂の出た時期に残留する可能性のある農薬は使いたくないからです。 安心して食べていただくお米を作るのが一番だと思っておりますのでご理解いただけることを願っております。

河内家の人たち

私たちが美味しいお米をお届けします

 河内伸介
河内農場2代目
趣味: 魚釣り ジャズ
 河内敏彰
 河内農場3代目
趣味:スキー バス釣り

 特技 「壁上り」    特技 「お手」
 チロリン ♀ 
mix
    河内敬子
   2代目の妻
趣味:ガーデニング 写真
ショー ♂
スコティッシュフォールド

河内農場の始まり 大潟村入植


河内農場のルーツ 初代 河内弥寿生

平成24年6月 父 河内弥壽生が87才の生涯を終えました。
最後まで田んぼのことを気にかけ農業一筋の父でした。

昭和42年、八郎潟干拓地(大潟村)の第1次入植で愛媛県から秋田に私たち家族を連れてきてくれました。
父親の時代は今のような機械が無く底なし沼のようなヘドロの地に稲を手で植え次々にはえてくる雑草と戦いながらお米作りの基礎を作ってくれました。

平成元年に私 河内伸介が父親の後を継ぎ農業を始めました。
父は若い私の考えをあまり反対もせず、おまえの好きなようにやりなさい。と言ってくれましたので収穫した米を全量を農協に出荷していたのをやめて個人のお客様に販売するようになりました。

美味しくてもまずくても何も評価されず、ただ多く収穫することだけ考えていた作り方から、美味しいお米を作らないと評価されない
、自分の作ったお米が美味しくても、まずくてもお客様からの声が直接伝わってくる面白さに農業が大好きになりました。

今私が農業をしているのも父親が好きにさせてくれたおかげと感謝し、次の息子に引き継いでいけるように努力していきます。 

河内伸介


父は昭和42年 1次入植者として愛媛県から大潟村に入植し米作りを始めました。 河内農場のルーツであります
大潟村入植について ↓
http://www.ogata.or.jp/encyclopedia/history/2-5.html

そのころ愛媛新聞に掲載された記事を紹介させていただきます。